朝。 ホテルの周りをウォーキング。 本能寺から、商店街を通り、河原町まで歩く。
今日の朝食は、洋食。
昨日の朝食べ過ぎたし、今日は軽く行きましょう。
紅茶とヨーグルト、

ジュース、サラダ。 卵料理は、目玉焼き1個、ハムやソーセージは抜きでお願いした。

午前中。 夫のリクエストで、奈良の箸墓古墳に行ってみる。 卑弥呼の墓とも言われている古墳だ。 この辺りは古墳がたくさんある。
箸墓古墳の前にカフェがあったので、休憩する。 私たち以外誰もいないけれど、冷房も効いていて、清潔で、おいしいコーヒーが出てきた。 翡翠のまが玉がたくさん置いてあった。

カフェで「古墳の反対側に行きたいから、ここに車を停めてまた戻ってきてもいいですか」の聞くと、反対側には無料駐車場があるからそこに停めればいい、と教えてくれた。
反対側には、小さな詰め所らしきものがある。 あぜ道を通ると、すごい数のバッタとカエルとトカゲがピョンピョン足元から田んぼに移動した。

宮内庁の管理下にある。

夫、満足。
ここらへんは、一大パワースポットの大神神社の周辺だからか、正しいパワーがチョロチョロとそこかしこに流れてるような気がする。
京都に戻ると、すでに2時過ぎ。 夫は南禅寺に行きたいというので、私は高島屋で車を降りて別行動。 高島屋の食器売り場で輪島塗りの展示会をやっていたので、作り手さんにいろいろ教えてもらって、お皿を一枚買った。
錦小路の有次に行く。 テフロンの深鍋を雪平鍋に切り替えたいが、アルミにするか銅にするか悩んでいる。 あと、大きさも。
買うのは「銅の18cm」だろうと事前に想定していたが、実物を手にすると、銅はやっぱり重い。 だからといって15cmは小さすぎるし。
アルミなら軽いので、21cmでも楽に持てる。 値段も銅に比べて安い。
気がかりは、母が昔「アルミの鍋で料理するとアルツハイマーになる」と大騒ぎしてアルミ製品を一掃して以来、使ったことがないこと。 アルミとアルツハイマーの関連性を調べると結論は出ていないが、すべての料理をアルミ鍋で作ったとしてもアルミの摂取量の一日あたりの限度を下回るらしいことは理解した。
もう一つの悩みは、左利きなので注ぎ口が反対で使いにくいこと。 お店の人に聞くと「それなら両口がありますよ」とあっさり解決した。 アルミ鍋は常時両口の在庫があるが、銅鍋の両口は注文生産なので、納期と追加料金の確認に一週間ほどかかるそうだ。
「銅鍋の両口の納期と金額が出てから、アルミと比べて決めてもらってもいいですよ」とのことで、とりあえず18cmの銅鍋の両口の見積もりをお願いすることにした。
その後、また雪平鍋の陳列棚に戻り、メジャーで深さなどを測っていると、別の店員さんが「サイズ、書きましょうか」とメモ用紙を持ってきてくれた。 アルミは18cm、19.5cm、21cmと小刻みなサイズ展開だ。
同じアルミの雪平鍋でも高価なシリーズもあるので、違いを聞くと「高い方は料亭などのプロ仕様で、一日中使い続けることを想定している。 家庭で使うなら全ての料理を同じ鍋で作ったとしても、安い方で十分」だそうだ。
「アルミと銅、どっちがいいですか」と聞くと「そこはお好みです」とすげない。 悩むわー。
銅の見積もりが出るのが一週間後なので、しばらく悩みは続く。
最後に、銅の鍋は空焚きは厳禁とあるが、洗ったあと水分を飛ばす目的で空のまま弱火にかけてもいいか聞くと、それは問題ないそうだ。 すっきり。
古道具屋さん、お土産屋さん、手拭屋さんなどをぶらついてホテルに戻った。
夜。 今夜の食事は、京都の中華だ。 そういうカテゴリーが存在することを、この本を読んで知った。

品数が少なく、営業時間も短いけれど、すっきりしたおいしさで出汁をふんだんに使うのが京都の中華らしい。
ホテルの近くの「鳳泉」に行く。
17時の開店直後に行くと、まだ空いている席の方が多い。 うら若き女子が一人で瓶ビールと焼きそばを静かに食べていたりする。
しかし続々と客が来店し、あっという間に満席になった。
まず、ビールとシュウマイ。 クワイかレンコンが入っていてシャリシャリと食感がいい。

どの客も食べたいものは決まっているらしく、迷わずに注文している。
春巻き。 関西の春巻きの皮は薄焼き卵なんです。 野菜たっぷり。

鳥の唐揚げ。 シンプルすぎる。

そして、美味しすぎる。

焼きそばの麺は揚げ麺だ。

かに玉。 餡掛けが、甘酢ではなくて、出汁だ。 うんまい。

小さいご飯を注文して、蟹玉丼にして食べた。

大満足の中華でした。 これから京都に来たら、一度は中華を食べよう。
帰りに酒屋さんでモエシャンドン買って、ホテルの部屋でゆっくり飲んだ。
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